夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

語学検定取りたい!

先日ここで書いたように、留年で空いた時間を使って語学検定を取ろうと考えている私です。各国語につき様々な検定があり、まずどれを受けることにするかで迷ったので、英語・中国語・韓国語について、視野に入ったものを以下に挙げてみました。

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経験と子供

 インターネットで中高生の友人と話していて思うことには、彼らは大人同様の高度な思考回路を既に十分に備えている。人生における非常に複雑な問題に対して、考え、悩み、苦しむことがある。それらを解決に導くものは経験であろう、しかし経験はそれ自体によってしか身に付けえない。十分に経験を積んだ者を、我々は大人と呼ぶのである。

 経験とは何か。物事の見方や考え方を養うことであり、それはすなわち言葉を身に付けることに他ならない。言葉は他者を受け取り、自身を表現するものである以上に、思考を組み立てる骨組みだからである。若い彼らが悩み苦しむのは、思考を組織しうる言葉が及ばないのに過ぎない。そしてその言葉とは、根源的に他者のものである。

 そのような経験を、彼らは他者が存在しあう言葉の場において身に付ける。インターネットは言葉の海で、そこで知り合う彼らは既に多くの言葉を知っている。都市に生きる若者も、言葉を用いて実に巧みに世を渡る。そこでの生活は学校のように、大人と子供の区別がほとんど考慮されない。

 学校で子供は教育を施されるが、そこでは常識的な知識は教えても、経験的な知識は教えない。経験的な知識を教えてしまうと、既に彼らは大人となって、教育が意味をなさなくなるどころか、かえって大人を脅かし始めるからだ。子供が既に高度な思考をなしうることを、大人は薄々気づいているのだ。学校は子供を大人にするのではなく、むしろ子供にとどめるための機構として作用する。

 彼らが言葉を得られるように、大人は準備しておかなくてはならない。それも彼らに与えるのではなく、彼らが盗めるようにしなければならない。言葉として得られる経験によって、彼らは知らずも自ら大人という地平に立つ。彼らを子供と呼ぶことで言葉の場から退けるのは、言葉の場に安住して自らの経験をそこに置き忘れた大人のあさましい浅慮である。

PHPの勉強とか

いろいろカスタマイズしにくいはてなブログから、もう少し使い勝手の良いブログかCMSに乗り移ろうかと考えている私です。最初はfc2ブログでいいかなと思ってたけど、TumblrとかWordpressとか面白そうなのありますね。

それより前にPHPとかスタイルシートとか勉強しようと思いまして、手始めにPHPの入門書を購入してみました。たぶん数日で読み終わる…と思います。

 

いきなりはじめるPHP~ワクワク・ドキドキの入門教室~

いきなりはじめるPHP~ワクワク・ドキドキの入門教室~

 

 

今年度は!

久々のブログ更新。

去年度は工学部の履修指定単位を蹴って興味のある科目を好き放題取った結果、転学部できなかった上に留年してしまった私です。二年後期からのコース配分までに一定の単位数を取らないといけないとか聞いとらんよ…

ともかく今年度は何が何でも大嫌いな理数科目を履修しないといけなくなったとともに、上限をとっくに超えてしまったその他の群の科目はもはやとる必要がない。したがって時間が大変できる。

そこで私にはなすべきことがいくつか思いつく。一つにはこれまでのように読書に費やすこと、また一つにはその成果を論文なりの文章として著すこと。前者はすでに蓄積があるので、今度こそ転学部への足懸けとすべく、思想をちゃんと形にしないといけないと思う。

その一方で、転学部はおろか卒業すらままならない気がしている私は、取ってももはやどうしようもない大学の語学の単位よりは、各種語学検定を取得した方がよいのではないかと思い立った。準二級を取ったままの英検とか、そこそこ得意の中国語や韓国語の検定、あるいは準一級のために勉強しかけてそのままの漢検もある。また今年の新入生からは、TOEFLの受検が必須となるらしい。ともかく今年度は、空いた時間を資格所得に向けたいと意気込んでいる。

それから出費がかさむこともあり、これからはアルバイトもやりたい。先の二ヶ月でそうした経験ができたので、抵抗はかなりなくなったと思う。家庭教師や編集など、頭を使うもので時給も高めのものがいい。

そのほか直接的、間接的に収入につながるものごとに手を出したい。プログラミングについて勉強するなどは、その一つだと思う。PHPやCGあたりを操れるようになると、制作の可能性が広がるのではないかと思う。

…などなど、考え出すとこれでも時間が足りない。というより、考えている間に時間が過ぎてしまう。ともかく行動に移さねば。考えるだけで飽いてしまうのは、私の悪い癖である。

今年最後の授業

せっかくなんだから日記はこっちに書いておこう。

三限の授業、ちゃんとありました。ロン毛だった新宮先生が散髪なさっていましたね…
デザインだけして使うあてのない年賀状を作成し終わって、自転車に乗ろうとしたら鍵が開かない…。そのうち雨まで降ってきて実にみじめ。十分ほどの格闘の後、ようやく鍵は開きました。
図書館でレポート作成用の本を四冊借りる。二冊は教育学、二冊は社会学関係。
本を買いに西部生協ルネに立ち寄ると、古書フェアをはじめなんかいろいろ企画やってる。さっきの授業で聴いたルーマンの音楽がBGMで流れてる。探していたJ.S.ミルの『自由論』が見つからない。代わりに買った本は下の二冊、前から買っておかねばと思っていたもの。一冊買った古本は文字についての講義集だったけど、これに新宮先生と夏目さんが書いたものが収録されてる。偶然というかなんというか、だから買ったんだけどね。

そして雨の降るなか帰ってきたのでした。

マンガ学入門

マンガ学入門

 
行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)

行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)