夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

恋愛・性愛について考えるために私が読んだ本

 宮台真司『「絶望の時代」の希望の恋愛学』を先日読み終わった。長期的な愛情関係を取り結ぶまでもなく、その瞬間の交換不可能性 のうちに「瞬間恋愛」は可能であるというナンパ論は、愛についてこれまで自己省察してきた持論がまさしく自己の域を出ていないのだと、その確信を大きく揺 るがせるところがあった。
 それについてはまた後日詳しく書くことにして、ここではこれまでに読んだ恋愛や性愛について書かれた本について挙げ、ごく簡単な解説と感想を述べる。

三島由紀夫『不道徳教育講座』、角川文庫、1967年


  これがすべての先駆けだろう。この本についてはすでに様々なところで書いてきたが、後の私の性愛の理解に大きな影響を及ぼすこととなった。見出しを挙げる ならば、「処女・非処女を問題にすべからず」、「童貞は一刻も早く捨てよ」、「女には暴力を用いるべし」、「痴漢を歓迎すべし」、「モテたとは何ぞ」、 「恋人を交換すべし」といった章である。これらの優れたエッセイを、私の言葉でまとめるには及ばない。

森岡正博草食系男子の恋愛学』、MF文庫ダ・ヴィンチ、2010年


  恋愛について書かれた本で、恐らく私が初めて読んだもの。というのも当時、恋愛という相互行為のありようについて真剣に思いを巡らしていたからである。そ してそうした私の態度は、ちょうど「草食系男子」のそれであった。哲学者・生命学者の森岡正博は「草食男子」あるいは「草食系男子」の語を世に広めた一人 と言われている。
 森岡の著作は以前に『決定版 感じない男 (ちくま文庫)』(2013年。旧版の新書版は2005年)を読んで大変考えさせられていたので、この本も自身の内面としてのセクシュアリティを見つめ直す意味で読んだ。
  自身もモテない暗い青春を経験したという森岡は、こうした「草食系男子」がモテないのは勘違いに基づいた劣等感によるものであり、生身の人間の心の動きを よく観察するところに生じる「誠実さ」を、具体的な行動として女性へと届ける技術をここで書いている。女性との会話の仕方といった初歩的なレベルの指南か ら、女性の心理や生理、社会的な立場についての理解、そしてひいては男としての自分との付き合い方など、ジェンダー論の立場から恋愛について考察してい る。
 恋愛という営みについて当時見識の狭かった私には、これこそが規範的な恋愛だと思った。ここで語られる恋愛は男性が誠実である以上に、女性 もまた誠実であることが前提となっている。しかし後に挙げるようなAV監督やナンパ学者の著作を読めば、その期待は見事に裏切られることになるだろう。女 とはそんなに単純一様ではない。彼の誠実さは彼女に対する失望に繋がることもあれば、彼女を心から苦しめる毒にもなるということだ。

二村ヒトシ『すべてはモテるためである』、文庫ぎんが堂、2012年
二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』、文庫ぎんが堂、2014年



 AV監督・二村ヒトシによる著作で、前者は男性向け、後者は女性向けとして発売されたものである。しかし私としては後者がかなり恋愛の核を突いていると思った。
  前者を読んでいた当時、私はすでに「モテる」という経験ができていたため、モテることをそれほど逼迫して求めていなかったし、今の自分はもはや「キモチワ ルい」わけではないとも思ったので、前半はクリアされていた。後半はより実践的な内容であり、「あなたの中の、女の子。」の章では次の著作に繋がる興味深 い指摘がなされている。すなわちあなたの中にも【女】があり、それは母親からの影響を多分に受けているということである。

 これは女性に とっても同じことであり、そうして親にあけられた「心の穴」について述べたのが後者である。恋に駆り立てられ恋人との関係もうまくいかない原因は自身の、 ナルシシズムが強すぎるために自己受容ができていないからだと説き、「オタク」や「ヤリチン」ばかりの男性や、「心の穴」をあける張本人である親との関係 について確認したのち、自己を受容できるようになるための処方箋を下す。
 AV監督という経験を通して書かれたこの書は女性のセクシュアリティに 対する非常にすぐれた洞察である。精神分析学を少しでもかじった者なら、この「心の穴」というものが心的外傷、すなわちトラウマに他ならないことを悟るだ ろう。それが大変平易で、かつ直截な表現によって、撫でるように解説されている。
 それでもこの書も結局は男性によって書かれたものである。それが10章の女性のお悩み相談や、補章の臨床心理士との対談で、あるものは確認されあるものは批判される節は感心しながら読んだ。
  心の穴と言えば、まだ小さかった頃に木を描く心理検査(バウムテスト)を試したときから木の幹に洞穴を描き込んだ私であった。私が親密さを抱くのがどうい うわけか心に時おり暗い陰を兆す少女であるのも、私自身親によっていつか心に穴をあけられたからなのはきっと間違いない。

坂爪真吾『男子の貞操 ――僕らの性は、僕らが語る』、ちくま新書、2014年


 性の若き社会活動家・坂爪真吾の、セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱 (小学館101新書)に 続く二冊目の著作である。彼の活動については平成25年度の江口先生による応用倫理学の授業で見聞しており関心を抱いていたが、今年になってまさしく私の 考えていた問題、すなわち男性のセクシュアリティについて、「男子の貞操」という問いかけで生協の書店に並べられているその新書を見て、目次を読んだのち すぐに私は購入したのであった。
 上野ゼミ・宮台ゼミで社会学の手ほどきを受けた坂爪の議論は大変的確で、様々な二項対立に付けられた「トロ フィーセックス」「飽色」「ジャンクヌード」といったキャッチーな用語によって「人格」と「記号」との対比が明快に記述されている。我々男子は「お上の見 えざる手」によって性的な記号を通して操られていることに無頓着であり、そのことに自覚したならば自分の性、そして他者の性に向き合っていく技術が必要で あると説き、「男子のセックス」への七つの処方箋を示している。まさしく「性は、僕たち個人や社会の欲望を映し出す「鏡」」である。
「記号化され た性」の消費に対する見通しについては納得した一方で、目指すべき性生活もまた経済的な視点から述べられているのには少し違和感を覚えた。もっともここで 「エゴ」に対しての「エコ」とは"ecology"すなわち生態学的な含意のものであり、性生活の持続可能な循環システム=「セクシュアル・ビオトープ」 を目標として掲げているのだが、「利息」「元本」「コスト」といったアレゴリーからは、むしろ経済のものの考え方が想起される。「セックスは、あくまで睡 眠や食事と同様の、日常生活行為」と言い切る以上、そうした性行為を経済学的に割り切るにはやはり抵抗がある。そして濃密な性体験はどうやら必ずしもそう したコストを必要としない。「ナンパ」という行きずりの方法でさえ、それは可能である。

宮台真司『「絶望の時代」の希望の恋愛学』、中経出版、2013年


 これは本当に刺激的な本であった。読者を否が応にも性愛の実践へと突き動かすものである。
 本書はKindle版の電子書籍、『宮台真司・愛のキャラバン――恋愛砂漠を生き延びるための、たったひとつの方法』が元になっている。この時点で数年前から知っているナンパ師の男が引き合いに出しており、興味はあったものの電子書籍なので手が出せなかった。それを再構成し、新たに書き下ろしを加えたものが本書である。
 宮台真司については援助交際の紹介者として知り、『制服少女たちの選択』は長らく読みたいと思っているが手に入っていない。『増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)』は現代音楽の歴史的変遷について確認するために少しだけ読んだが、議論が専門的で難しいという印象を受けた。本書は一般向けに書かれた者であり、文章も平易で内容の大半もトークショーのものであるので大変読みやすかった。
  第一部はやや堅い内容で、現代日本と近代ヨーロッパの性愛の変遷をたどり、性愛と政治の二領域においては「変性意識状態」が重要な役割を果たすと述べる。 社会成員に求められるのは損得勘定抜きで湧き上がる「内発性」で、我々が生き残るために必要な「ホームベース」を構築するために、それを獲得する最大の方 法が性愛実践であると説くのである。
 第二部は鈴木陽司、高石宏輔、公家シンジといったカリスマナンパ̪師を交えたトークショーである。この内容 が本当に神経を疑うばかりで、それでいて深く勉強になるのである。ナンパや性愛に対する女性の態度の目から鱗であったが、ナンパ師としての彼らが辿たどっ た経緯もまた興味深いものであった。
 さて私が「自己啓発としてのナンパ」を始めたとして、果たして愛に至ることはできるのであろうか?そうでは なくても、学問的に実りがあることは間違いない。それからすでに窮まったこの状況、打開するにはそれしかないようにも思えるのである。自己の内省に満足す るのではなく、他者との一瞬に生きることだ。今を生きることなしに、未来を夢には見られない。