夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

河合隼雄『コンプレックス』(岩波新書、1971年)、まとめと感想

 

コンプレックス (岩波新書)

コンプレックス (岩波新書)

 

 

 

 コンプレックスという語は、河合隼雄氏によって『コンプレックス』が出版された1971年にはすでに人口に膾炙していたらしい。そして出版から三十年以上たった現在においても、その意味するところはあまり変わっていないようである。しかしこの本にはコンプレックスの成立から影響、そしてその解消までを、精神分析の理論および臨床心理の症例を取り込みつつ、大変よく構成された形で解説がなされている。コンプレックスが際限なく膨れ上がっていくようにも思われる現在日本において、とりわけ自己アイデンティティの形成という青年期課題に取り組む若者にとって、自身のコンプレックスの理解と解決を助けるものとして、この書はますます要請されるべきもののように感じた。以下、当著の流れを可能な限り拾ったので、購入の参考にしてほしい。

 

 

第一章     コンプレックスとは何か

 あることがらに対して、ことさらに感情的になったり、あるいは感情を抑圧することによって反応が遅れたりすることがある。「このように無意識内に存在して、何らかの感情によって結合されている心的内容の集まりが、通常の意識活動を妨害する現象を観察し、前者のような心的内容の集合を、感情によって色づけられた複合体(gefühlsbetonter Komplex)ユングは名づけた。」

 精神分析、とりわけユング派ではその統合という点において重要視される自我という概念について、ここで簡潔にまとめられている。「意識することは、何かを経験することであり、しかもその経験していることに対して判断を下し、それを自分の体系のなかに組み入れようとしている。」「このような経験の主体であり、意識内容の統合の中心をなすものを「自我」と呼ぶことにする。」

 著者はコンプレックスの構造を「ある党派のなかの派閥」に例えている。自我もコンプレックスの一つであるが、運動機能を統制しているために、「自我は主流派であり、政権を持った派閥」と言える。しかしあるコンプレックスがまつわる事柄が関係すると、その統制力が乱れ、その統合体としての自己が乱れる。

 後に章を追って、患者の症例から臨床的に実証される自我の発展について、ここで注目すべき一節が述べられている。「発展を求めるものはどこかで開いていなければならない。」コンプレックスを抑圧すればそれなりに安定した生活を営むことができる。しかし我々は人生のある時期にコンプレックスの衝突を経験しなければならない。

 

第二章     もう一人の私

 コンプレックスはしばしば私の分身として立ち現われるが、それについて三つ興味深い指摘がなされている。

一つはマスターベーションをし、分身の離脱を経験して以来、排尿とともに大切なものが体から抜け出ていくという感覚を持つようになった男子中学生の事例で、彼は「分身が切れてしまった」ことに絶望して21歳で自殺する(藤繩昭「ある分身体験について」)。彼の苦悩はコンプレックス喪失の苦しみであり、コンプレックスが無い方がいいという考えは浅はかであることがわかる。

いま一つはアドラーによる劣等感に関する主張である。あるものがない、あることができないという自らの劣等性は、それが頻来自分にもできるはずなのにという優越感が入り組んでいるために、劣等感として感じられる。これが劣等感コンプレックスである。しかしそれを認めても自らの人格の尊厳を失わないと感じているならば、劣等感を抱かれることがない。「自分の劣等性の認識は、むしろコンプレックスを克服した姿である。」

 もう一つは対人恐怖症の女子学生の症例である。彼女は男性に対して恐怖を抱き、またそれに媚びるように化粧が濃い女性にも嫌悪を感じて、大学に通わなくなってしまった。しかしカウンセリングを経て、彼女は化粧をして学校へ通うようになり、ボーイフレンドまで獲得してしまったのだ。かつて勉強熱心で異性に関心のなかった彼女の中に、その自我を補うものとして、異性コンプレックスというべきものが形成されていた。しかし彼女はそれを自我に統合することができず、異性への彼女の意識を抑圧すると同時に、そのような異性に接近しようとする「化粧が濃い女性」に投射されていたと言える。そうした意識の一面性を認めることで、彼女は相補性としてのコンプレックスを、自らのうちに統合することが出来たのである。「コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化あれていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。――たぶんそれは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺戟するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちである」(ユング『魂の探求者としての近代人』)。

 ここで自己を球体とし、その意識される一部分を自我とする、有名な自我と自己との図式が示されるとともに、自己の定義付けがなされる。「ともすれば小さく固まろうとする自我に対して、コンプレックスという発展のいとぐち(苦難でもある)をつきつけ、自我がより高次の統合性を志向してゆくようにするプロモーター、それが自己なのである。」ここに著者は人格の発展の可能性を認めて感嘆しているが、こうしたユング派の心的成長の直線的なありようは単純にすぎると、他の派閥から批判されてもいる。

 

第三章     コンプレックスの現象

 この章では防衛機制とノイローゼについての説明がなされている。防衛機制、すなわち自己防衛の機制とは「コンプレックスの力が強くなるに従逢って、自我はその安定を図るために、いろいろな手段を用いる」というものであり、先に挙げた対人恐怖症の女子学生の、「化粧が濃い女性」に対する投射はその一つである。防衛機制に関しては、高校の保健の教科書で適応機制という名前で習ったときに大いに関心を持ち、課題レポートを作成して発表も行ったのでよく知っているが、それを自我の防衛として捉えるとより深い理解が得られた。私はこうした自我の防衛機制を、社会の適応機制としてより広い枠組みでとらえることができると考えている。ちなみに反動形成とはいわゆる「ツンデレ」のことであろう。

 ノイローゼの分類については、自我の中心を船長、自我の全体の能力を船、自我防衛の機能を原住民との接触係、原住民およびその貿易品をコンプレックスになぞらえ、自我=船団とコンプレックス=原住民とうまく交渉をやりとげようとするという、貿易の例えが面白い。ノイローゼになる時は、これらの連携がうまくいっていないのである。

 コンプレックスの人間関係への影響についても述べられている。自我がコンプレックスを統合しつつある人は、感受性が強い、言い換えれば「傷つきやすい」という。「自身の強力なコンプレックスを一種の「アンテナ」として、他人のコンプレックス、従ってそれに基づく失敗や悪事を嗅ぎつけ、それを喰いものにして生きているような人も存在する」という例えは言い得て妙だと思った。私は直観的に所謂ヒモとかナンパ師といった人々を想像した。コンプレックスの投影が集団として生じたものが、スケープゴートである。またコンプレックスの強い者同士が結束し、劣等感に対する反動形成によって自らを守ろうとしたものとして、不良少年の集団が挙げられている。

 コンプレックスにまつわる人間関係の問題について、著者はその原因を求めることは重要ではなく、外界の外的自称と内界のコンプレックスとの間に形成された布置に注目する。これらについて考える時、その人はもはや自我を防衛してはいられず、自身の無意識と対決することになる。「つきつけられた杯は飲まねばならない。」

 

第四章     コンプレックスの解消

 コンプレックスと向き合おうとする者、そしてそれに寄り添おうとする者にとって、この章こそは最も得るところのものが大きいであろう。学校恐怖症となった中学生の少年は、母親コンプレックスから分離し、母親から自立しようとしていた。しかしそのためには、母親同様に接してきてくれた「大きいお母さん」である伯母と対決せねばならなかった。このような葛藤の中で発せられた少年非難の言葉は、彼女の心に刀のように突き刺さった。コンプレックスを解消することは、しばしば辛く凄まじい経験となる。「それは「解消」というよりは「爆発」に近い減少によってこそ、克服されるものである。」しかし感情の嵐が荒れ狂う経験が、各人には必要であった。その後事態は好転し、少年と大きいお母さんは「お互いに自分の脚で立てる二人の人間として、手を取り合うという関係」を築き直すことができたのである。もっともこうした極端な爆発は避けられるべきであり、小爆発を時に伴うにしろ、自我とコンプレックスの間で適切な接触が保たれ、安全な状態で成長していくことが望ましい。「コンプレックスの解消に必要なのは、愛情を背景とした対決であり、ごまかしのない対話である。」

 安定した関係を突き崩し、このような対話を媒介するものとして、トリックスターが大きな役割を果たす。善悪両面の性質を持つトリックスターは、両者の暖かい関係を取り持つ可能性を秘めている一方で、悲惨な顛末を引き起こす悪鬼にもなりうる。こうした役割を知る治療者は、そこに存在する潜在的な布置の意味を読み取り、結局は二人の自我が適切な強さに達するまで「待つ」しかない。

しかし治療がうまくいった後、トリックスター特有のきらきらした輝きは、もうそこにはなくなってしまうのである。しかしながら「死の体験」はひとりの人間の成長において、何らかの意味を伴って経験されるものである。それは苦しく悲しい体験であるが、それを自我の中に組み込んだこと、すなわち意味づけを与えたことによって、同時に再生にもつながる体験となる。死んだコンプレックスが自我の中に再生していると感じられることが、そうした死への慰みである。

 死の体験を内面化する際、自我の弱さを補うものとして、しばしば儀式が必要となる。儀式は体験に導くものである一方、体験から身を守るものでもある。太古から受け継がれてきたこれらの儀式は、しかしながら継承されるうちに形骸化していく。大学卒業といった節目にそうした儀式が立ち現われるように、現代を生きる我々は、個人にふさわしい儀式を見出し、創造してゆかねばならない。

 

第五章     夢とコンプレックス

 コンプレックスは夢の登場人物として、人格化され対話可能な形で現れることがある。コンプレックスの人格化については、対人関係に関する興味深い示唆がある。「われわれが、誰かに対して「虫が好かない」とか、毛嫌いするなどの場合、われわれはその人が自分のコンプレックスを人格化したものではないかと考えてみるとよい。」

 自我が事象を言語化することによって整理し、自らに統合しているのに対して、統合できなかったイメージは夢において無意識から自我に語りかける。その意味を明確に把握するために、自我がそれらのイメージを言語化する作業が夢の解釈である。自我は事象を言語化し概念化することによって「体験」を限定するが、残された体験はコンプレックスをつくりあげ、夢という表象を通して、自我に直接体験の再体験を要求する。こうした補償作用を持つ夢を分析することは、コンプレックスとの対決という苦しい仕事である。夢の解釈については、岩波文庫から新宮一成著『夢分析』が出ている。

 ここでもコンプレックスがいくつか挙げられているが、その中でも気になったのは、プロメテウス・コンプレックスとディアナ・コンプレックスである。前者は神の目を盗んで火を盗み出したプロメテウスにちなんだもので、父の目を盗み危険を犯す「火遊びの年齢」を過ぎて、なおも「避けがたい盗み」を為し得なかったことにより生まれる。実に私も「火遊びの儀式」を経験しなかったため、今なお「火遊び」への衝動と、親に対する罪悪感の板ばさみとなっている。後者は女性における男性的な強さと独立心のコンプレックスである。このような女性はいわば男性を去勢してしまうのであり、彼らを寄せ付けさせない。逆にそれを完全に抑圧しきっている女性は、同性から相手にされない一方で、男性には大変モテる。なぜなら彼女は「男性たちのあらゆる投影を引き受けるのにふさわしい状態にある」からである。チャットなどを見ていると、女性の精神と肉体につけ入ろうとする男性たちのなんと見苦しいことか。お人よしにもそれらに律儀に受け答えする女性たちは一見人気者に見えるが、彼女たちもまた分別なく彼らの権威性にすがりついているように見えた。

 夢の中の私は行為し体験する主体である一方で、対象化されうる客体である。また体験を先取りされた将来の私であることもあれば、自我によって忘れられていた過去の私であることもある。夢の中の「もう一人の私」との出会いにより、ユングは晩年宗教研究に傾倒してゆく。

 

第六章     コンプレックスと元型

 フロイトの提唱したエディプス・コンプレックスはよく知られている。「男性の夢石井内には母親をその愛の対象とし、父親を敵対視する衝動が存在すると判断し、その抑圧に伴ってコンプレックスが形成され」たものがそれである。これに対応するものとして、ユングは「女児の場合は始めは母親に愛着心をもつが、五、六歳ごろになると、異性としての父親が愛の対象となり、そのライバルとしての母親を敵視する」ことを見出し、やはりギリシャ神話から名前を取ってエレクトラ・コンプレックスと名付けている。現在はその両者を併せてエディプス・コンプレックスと呼ぶことが多い。フロイトのこうした「ユダヤ人として父権の強い家庭に育ち、父親との年齢差が非常に大であった」影響が大きいとここで指摘されている。

 西洋における父系性社会においてはエディプス・コンプレックスが重要なものとなってくるが、文化人類学の発展に伴い、母系制社会ではそのような傾向が見出されず、コンプレックスには文化差があると考えられる。ここで主要なものとして取り上げられているのは、「母なるものの」の元型「太母(グレートマザー)」である。元型(アーキタイプ)とは前節で述べられているように、人類一般に普遍的な無意識の層の中に見出される、人類に共通した基本的な類型のことである。現代の日本ではこの元型の強力な作用を受けているとして、それを戦前まで父権制によって補償して平衡を保っていたのが、敗戦によってそれが壊され、母性の力が強まったことで学校恐怖症が続出するようになったのではと述べている。戦前の父権制というものが日本に元々あったのか、あるいは文明開化以後西洋から流入してきたのかは考え物だが、なるほどこの主張には説得力がある。また日本人の自我は西洋人のそれに比べて、コンプレックスとの共有関係がはるかに強いと述べ、それが対人関係に影響して「間合い」や「察し」、「甘え」といった“日本人独特”の心性が日本人に見られると述べているが、後の1982年に『「縮み」思考の日本人』で李御寧によって批判されているように、これらは日本に限らず東アジア地域において広く見られるものであろう。ということはこれらの文化圏においてもまた、太母の元型の影響が支配的であると言えるかもしれない。

 最後に著者は自己実現について述べる。あるコンプレックスが強力になってきたとき、それに対応する外的事象もまた生じることが多い。こうした場合に多くの人は、外的な事象を攻撃したり、不運を嘆いたりすることが多い。けれどもそれは自分のコンプレックスに気付く契機にもなる。自己実現の問題を重視しなければならぬ理由の一つとして、著者は外的世界の拡張の凄まじさを挙げているが、これは当著が出版された1971年より、現在においてますます我々に関わってくるところのものであろう。すなわち、情報社会がさらに発展して端末が持ち運べるようになり、インターネット空間がソーシャル化されつつある昨今においては、自己実現の可能性がほとんど無限に広がっている一方で、自己像は拡散しがちでありその同一性を確かめにくい情勢にある。コンプレックスは増殖されるのである。そのような中で、我々はその人個人の神話を発見し、その人個人のイニシエーション儀式を通じて、それらコンプレックに立ち向かわなければならない。「コンプレックスを拒否したり、回避したりすることなく、それとの対決を通じて、死と再生の体験をし、自我の力をだんだんと強めてゆくことが自己経験の過程なのである。」

 

 

 以上見てきたように、コンプレックスとそれに関わる問題は広範囲にわたっており、それらとの対決なしには人間的成長はありえない。しかしながら、こうしたコンプレックスの統合により人格が成熟していく、すなわち個体化していくというユングの精神療法の方向性は、他の学派から臨床的に批判されてもいる。治療の過程が必ずしも統合の方向に進むとは限らない。

 ともあれこの本自体はとてもよくまとまっている。河合隼雄氏には著書に『こころの処方箋』などのベストセラーがあるが、なるほど文章が読みやすく内容がわかりやすかった。氏は京都大学の著名なユング派精神分析学者・臨床心理学者である。他の著作にも興味があるが、まずは先日購入した『大人になることのむずかしさ』から読みたい。

 

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