夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

学園モノへの憧憬

この前から家族が『咲-Saki-』の漫画を借りていたので、今日読み始めました。もうすぐ一巻が読み終わります。
一応説明しておくと、『咲-Saki-』は高校を舞台とした麻雀漫画です。
読みながら「麻雀面白そうだなー」とか「キャラクターいいなー」と思いながら読んでいたのですが、時々「お色気」というと語弊があるのですが、「思春期初期のちょっとエッチな感情を惹き起こすシーン」ってあるじゃないですか。これについて例をあげると優希が押し倒されたみたいなシーンとか優希がパンチラだじょーっていうシーンとか。(タコス娘ばっかりだな…このロリコンめ!)
こういうシーンはいわば読者である青少年諸君を悦ばせるためであります。かく云う自分もそんな光景にニヤニヤしてしまいます。
しかしその一方で、正直に告白すると現に高校生である自分は「自分がこのような学生生活を送れていないこと」を、いつも呪ってしまうのです。
現在自分は帰宅部、独善的で他人を寄せ付けず、現実に興味はないと唾棄し、二次元の世界に思いを寄せる変人です。他人の印象も恐らくそのようなものでしょう。そんな自分が今更どうもこうもできません。やんぬるかな。
だから僕は学園モノを読むのが厭なのです。怖いのです。
涼宮ハルヒの憂鬱』なども同じく、作品中に男が存在していたら(人々はその人物に自己を投射することができるようですが)、嫉妬というか、そんな感情が起こるようです。
もちろん、「あれは漫画なのだから、現実はそんな風にいかないのは当たり前だ」というのは百も承知です。あれらは仮想であると分かっています。
分かっているつもりなのですが、どうしても現実に関連付けてしまうのです。
しかも現実でそんな風にうまくやっている例は聞きます。漫画のようにでなく異性が関わらないものでも、自分が今からでも部活か同好会を立ち上げて同士を集めたならば、青春を謳歌することなしに既に一年を過ごしてしまった自分でも、今からでも「学生生活」を送る事が出来るかもしれません。しかし、自分には「そんな学生生活を送る事が出来るだけの行動力がない」のです。ここに書き連ねていることも結局は机上の空論、いざ行動に移そうとすると僕は竦んでしまうのです。
僕は現実に対する未練を忘れようとした。忘れようとして、二次元の世界を追求した。漫画を読むのもある意味この一環だったのかもしれない。しかし、それは一転して現実への回帰を呼び、僕に更なる未練を起こす。
学園モノは(私にとっては)非現実的でありながら、現実性を持っているので、現実への志向性があります。これをうまく解釈した人には、このような漫画を読んだりアニメを見たりすることは無上の喜びであるでしょう。しかしそうはいかないようです。
僕はまだ仮想と現実を完全に分つことができていません。どうせ現実で駄目なのなら、さっさと「悟って」しまいたい!

妙な事を言いましたが、僕は『咲-Saki-』を、ひいては学園モノ全体を否定しようというのではありません。実際咲おもしろいです。返却日までにある程度はがんばって読みます。麻雀勉強してみたいです。他に呪うことは、家の地域がテレビ東京系列を受信できないことです。(だから咲についてはあまり乗り気ではなかったのですが。)アンテナ欲しい。