夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

児童ポルノ法案についての個人的な考え

http://miau.jp/1247203823.phtml
>インターネットによって児童ポルノが広く頒布され、児童の被害が拡大する可能性がある
なぜインターネットによる児童ポルノの頒布が児童の被害拡大につながるのかがわからない。
一般人の目に触れるような場所には現時点でそれらはないから、それらを陳列したサイトを検索している人はやはりペドフィリアであるか、その素質を持っている人物である。
我が国もグローバルな動きに合わせてそういった画像やそれらを陳列したサイトなどを規制し、彼らを抑え込むことが目的なのだろうが、そんなことは不可能だ。これは極端な例えであるが、人間が食べずにはいられないのと同じようなものである。
しかも、彼らにとって児童に対する興味は完全に排除できるものではない、そこに児童が存在するかぎり。
ペドフィリアを含む性的倒錯者が増加した要因としては、近現代ヨーロッパにおいては時代背景として社会水準がより上昇したことにより人々が潔癖になり、売春婦に対してのイメージがより悪くなったこと、また売春婦の減少により性処理の場が減少したことであるという(『性と心理学』H.H.エリス)。この事を鑑みれば、処理の対象を排除したところで欲求は膨張するばかりで、それが一気に収縮することは目に見えている。
あるいは、日本も「我が国さえよければよい」という考えなのかもしれない。
規制の緩い国家において児童を性的搾取する者は、少なくともネット上に流れているものを見るに、その国の国民ではない。
このことは前述の社会水準の事を考えても分かる事であろう。生身の児童を相手にするどころか、画像を検索することさえも規制されたならば、志向性はやはり規制の緩い外国に行ってしまうということである。すなわち日本のペドフィリアも、児童が欲しければ中国なりタイなりに行けということなのか?それでは根本的な解決になっていない。国際的な動向に準じておりながら、結局は自国のことしか考えていないことになる。児童ポルノに対する規制をとったところで、他の先進国からはやはり「日本らしいね」とたしなめられることだろうに。