夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

友情というものについて

自分などは友好関係もごく限られていることもあり、学校での休み時間の多くは勉強をしたりなどして一人で過ごしていることが多いのだが、一般的にはそうではないらしい。
私の友人の一人に、昼休みともなるときっと周りを人に囲まれている者がいる。彼は人が良いし、気品も良く、おっとりしており、ともすればホモっ気のある生徒なのであるが、その「友人」というものに、わざわざ他クラスからお越しになっている人々がいる。こんな言い方をすると失礼だが、彼らは(といっても数人だが)友達が他にいなさそうで、たいていニヤニヤしながら教室内に入ってきて、彼にじゃれかけたり、ちょっかいをかけたりする。見ていて不愉快である。
私が思うに、彼らのそれは「友達関係」を繋ぎとめるための行為なのではないか。自ら行動を起こすことで相手の反応を認識し、そのことにより相手との「関係」を確認する。だとすれば彼らの「友達関係」は非常に脆弱である。
にもかかわらず、当の本人は「壊したくても壊せない」というようなことを言っていた。
これが彼の人となりの問題なのか、物理的な問題なのかは知れないが、本人も飽き飽きしているようだ。
彼が余計なことをされているのを見るたびに、あの「お友達」のような醜態を晒すものならば、いっそ独りで居る方がましだと思い、私はますます孤独を強めるのである。
ところでソローの言葉に「太陽はいつも孤独である」というものがあったが、その太陽も多くの惑星に取り付かれている身であるから私には不適切だと思った。
念を押しておくと私は別に彼に対して独占欲を持っているわけではない。孤独であるにもかかわらず友人がいるのは矛盾だと思うかもしれないが、孤独の時間と友好の時間がきっぱり分かれているまでである。このことを彼に話すのはいささか不適切な気もするので(彼とその「お友達」との関係を良く知らない)、今は様子を見るしかないが。