夢流し

辺りはあまりに静かでも、頭の中はどんちゃん騒ぎ。京都の地に独り暮らし、苦節の学部生生活を送る京都大学生のブログ。文化、言語、娯楽、心理、生活等に関して、大学における教養科目の講義で得た知識を再解釈および適用し、その知を広く社会に還元することを目指す。

勝手にふるえてろ

11月祭二日目です。私は朝起きてまず河原町に向かいました。開店後すぐにとらのあなに入店し、無事『ろりとぼくらの。』を購入できました。昨日特典の存在を認識できなかったのは、それを表紙と勘違いしてしまったからだったのですね。こちらはまだ潤沢にありますが、都心と地方の人は大変みたいですね…。その後らしんばんで1000円でおっぱいマウスパッドだけ購入してご満悦の様子で一旦帰宅。何かにつけて画像を公開できないのは難儀ですね、手持ちのカメラはメモリがCFカードの実に古いものですが、このパソコンはカードスロットもないので…。
午後の部はまず鷲田清一先生の講演の整理券を入手して、それからアラビア書道体験をやりたいと思いましたが、時間が合わずそのまま講演へ。写したノートはルーズリーフ表裏びっしり一枚分にもなりました。別の記事として取り上げます。
そしてその後アラビア書道をやっていましたが、これが想定した通り三十分ほどかかったのですが、そこからヒャダインのトークライブショーに行く時点で既にじょーじょーゆーじょー聞こえてきてる。ガイダンスとのことでしたが、この時点で既に人でいっぱい。出遅れてしまった形です。離れた高所から見下ろすことも試してみましたが、臨場感が圧倒的に欠けるので結局戻ってきました。
感想としては、楽しかったですよ。結局この一言だと思います。眩しすぎるライト、肚に響く大音量、邪魔になる人の影。悪い要素でしかないこれらの状態も、楽しい雰囲気として我々は感じるのですね。歌自体は、そこらの学内のバンドと大差ありませんでしたが、大切なのは数量化できない雰囲気とかそれによって感じるものなんですね。人の所産も然りです。
そんな風に舞台上で輝くヒャダインさんを見ていると、やっぱりいいなあ、と思ってしまいます。総合人間学部だった彼も学生時代はあまり勉強していなかったということですが、結局別の領域で活躍して、また勉強したことも生かしているということです。私も引っ込み思案な一方で目立ちたがりなところもありまして、その一つの現れがこのブログにも冠されている京都大学生という名義なわけですが、時間とお金さえあればコスプレ衣裳だって作って着たいと思っていますが、そんなのちっともしてませんものね。この点でもやはり私の姿勢はかなり受動的=女性的であり、自分の手を引っ張って前へ連れ出してくれるような能動的=男性的な存在が必要なのだろうと思います。それが先天的な脳の時点での問題なのか、それとも父を亡くしたことによる環境的なものなのかは分からないけれど。ただ私はホモじゃないですよ!ヒャダインさんも言っていたけれど。先日の学科の講義でも、今から広く友達を作っておけばそれが後に人脈となりコネとなるという、私には耳の痛い話がありましたが、実際一人で何かをやろうにも自己満足に終わってしまうのは目に見えて明らかなわけで、どの分野についてもそういうソトへの広がりの志向は必要なのでしょう。その点私は二週に一度は実家に帰るような、家=ウチ志向の極めて強い人間であり、またそれを美徳とさえ思っているのです。一生農家で暮らすとかならそれでよいでしょうが、この厳しい競争社会、人を騙して出し抜くくらいの覚悟がないと、何においても成功することはできないようです。
表題と下の本はなんかタイトルが思い浮かんだので。

勝手にふるえてろ

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追記:鷲田清一先生の講演についてですが、私の文章にまずいところがあってそのせいで鷲田先生に影響が及ぶことがあってはならないと思い直し、講演内容を文章にすることを断念しました。